「春日裁判」全記録
税務署は何をやったか
青色申告の承認取り消しを初めて取り消させた「春日裁判」
「税務調査10の心得」の1つとして定着している「春日裁判」の判例とその全記録。
会社経営者、税務、法律関係者に好評です。
納税者を勇気づけ判例の権力的流れを断ち切った春日裁判の全面勝訴
事件の発生と取り組みの経過
春日さんは西日暮里で、奥さんとお兄さんとで、オフセットと活版で、主に名刺や封筒・伝票など端物を印刷していた印刷業者でした。
春日さんは、税務署を始めとするお役所に、楯をつくことなど考えたこともない、生真面目な芯の通った印刷業者で、「まさか税務署員がこんなひどいことをするとは夢にも思わなかった」と後日述べているくらい正義感強い零細な業者でした。
ことの発端は、1986年(昭和61年)7月から始まった、不当な税務調査でした。
税務署のすぐ裏にあった春日さんの印刷工場へ、事前連絡もなく「となり組のMだ」と訪問や電話でいやがらせのようなことを繰り返し行い、調査日を決めて立会人同席で調査を受けようとすると「守秘義務があるので立会いは認めない」「青色申告を取り消す」と脅しのような言動を繰り返し、調査に応じようとしませんでした。そこで税務署を訪れ「準備をして待っているのだから調査を進めてもらいたい」と、本人と役員・事務局で抗議と要請を行い、同時に証拠を残すために、荒川税務署長宛に「どうしてこのような不当な扱いを受けるのか。調査をすすめる気がないのか。」など、内容証明で一納税者の疑問点として送付しました。
回答はありませんでしたが、早速連絡が入り、日程を決めて再度調査を受けることに同意し、立会人も事務局の一名だけにした上で、内容証明の回答を求めましたが、「内容証明についてはすでに答えた、これ以上答えられない」立会人については友人がいるものとして黙認、との事でした。そこで調査官Mが、「たばこをすって良いか」というので、春日さんは「自分は心臓が不整脈だけど」と言いつつ、灰皿を奥の方の流しから持ってきて出しました。この一服が終わったら調査を始めるものと思っていたとたんに、春日さんに向かって「調査を受ける気があるのか」と、机を叩き、大声をあげて脅し、同僚の調査官が諭しているのも振り切って帰ってしまいました。
そこで、再度税務署長宛に「調査に応じようとしているのに、なぜ机を叩いて大声を出して脅すようなことをするのか」「なぜ、まじめな調査をしてもらえないのか」「なぜ、私がこんなひどい目にあわなければいけないのか、お答え下さい」と、内容証明を送付しました。
内容証明の送達後、M調査官の上司、S統括官が調査を受ける意思があるかを確認に来ました。春日さんは「調査はいつでも受けるが、M調査官は変えてほしい」と申し入れましたが聞き入れられず、10日後に、昭和58年分以後の青色申告の取り消しと昭和58年~60年度分の更正処分を受けることになりました。
それからの闘いは、異議申し立て、口頭意見陳述、審判所に審査請求、審判所での意見陳述を行い、審判所の採決では、春日さんの計算が正しく、税務署が押し付けた更正処分は、実額では全面的に取り消されました。しかし、青色申告の取り消しによる多額の更正額が残っているため、1989年(平成元年)1月に東京地裁に、『青色申告の取り消しは違法』と訴状を提出。裁判闘争に移りましたが、毎年青色取り消しによる更正があるため、異議申し立て、審判所の審査請求、追加提訴が繰り返し行われ、調査が始まってから裁判が始まるまで3年余、裁判が始まって5年余を加え、8年半の期間と、昭和58年分から平成2年分の8年分の争いとなりました。
税務署との闘い
この事件は、1986年頃から民商破壊を狙って『みせしめ的』に行われた調査であったと考えられ、最初に調査の対象になったのが春日さんでした。
消費税体制準備と、税務当局有利の判例が蓄積されたことも加え、立会い拒否、理由開示なし、事前通知なし、一方的な反面調査の横行で、権利を主張する民商会員を敵視し、一方的な青色申告取り消しと、更正処分の乱発などが行われる情勢が背景となっていました。
こうした中で起こされた事件のため、最初からまじめに調査しようとしておらず、あれこれ言い訳をしながら、訪問回数と電話連絡を重ね、春日さんが調査に応じなかったという、実績をつくろうとしていたとしか思えない経過でした。
異議申し立て・審査請求
最初の更正処分後は、手続きの期限と文書の作成、どのようにたたかいを発展させるかに終始し、更正処分の資料提出や口頭意見陳述など、いろいろな手続きにも取り組んできました。
異議申し立ては、同じ税務署内の同僚が担当するため、形式的な訪問と形式的な質問に止まり、何の救済措置にもならないのが現状です。
審判所では、更正処分に関する書類の提出を求めると同時に、閲覧請求も行いましたが、税務当局の言い分だけを認める内容で、すでに出された更正処分の基礎となった、売上の資料以外に出せないという結果でした。春日さんは、税務署から出された数字に対して、二重計上や期間の間違いなどを指摘し、青色申告の取り消し処分を除く、更正処分の全部を取り消させる採決を勝ち取りました。
青色申告承認取り消しを取り消させる
地裁提訴により、闘いは裁判闘争に移りましたが、反動化した中での裁判闘争であり『もし、負けたら』の気持ちは拭い切れませんでした。事実、春日さん本人も、「自分はまじめにやってきたつもりだが、公務員はもっとまじめで税務署員がこんなひどいことをするとは夢にも思わなかった。こんなことが通ったら昔の年貢の取立てと同じになってしまう。なんとしても許せない。」と語り、本人も役員・事務局も闘う気持ちを強めていきました。
こうして体制の強化や財政的保障などとともに、具体的な対策として、当面課税された分の納税も済ませ、万全の体制で臨みましたが、個人の税金裁判が全体のものとして広げていくことの難しさに直面しますが、会議事に進行状況を報告し、裁判傍聴の訴えを強め、区内民主団体や全国の民商への訴えと、団体・個人署名を送付しました。その返信が続々と返って来て、約2週間で600団体を数え、直ちに地裁に届けるなど弁護団を支える運動に取り組みました。
弁護士は、税金裁判のベテラン『第一法律事務所の鶴見・羽倉弁護士』に御願いし、法律論を鶴見弁護士が、事実経過などを羽倉弁護士が担当し、税務調査の適法要件、事実経過ならびに民商弾圧の背景、税務行政の実態を明らかにするなど、会議を重ねながら税務当局を追及しました。
地裁12回、控訴審11回の法廷を、傍聴人で一杯にする努力と、春日さんに対する税務調査の進め方が、いかに不当なものであったかを裁判官にわかってもらう努力を積み重ね、春日さんの主張を裏付ける具体的な証拠も、帳簿などの資料の他に、内容証明郵便で調査を受けようとする気持ちを表し、調査の現場となった作業所を様々な角度から撮った写真や、専門家に正確な図面を作ってもらい、応対した場所の臨場感を出すなど、仲間たちの力を借りて万全の体制で臨みました。
その結果、地裁での全面勝利につづき、控訴審でも、税務署側の証言等は、殆ど取り上げられず、「そのまま信用するわけにはいかない」「あくまで主観的な認識に過ぎない」などと退け、全面勝利を勝ち取ることが出来ました。
この春日裁判の勝訴判決が、税務当局に追随する権力的な判例の流れを断ち切り、その後の税金裁判を勝利に導くことが出来たことは言うまでもありません。
尚、春日裁判の全記録が出版されていますので、詳しく知りたい方は、是非、同民商へお申し込み下さい。
(A5版・全827ページ/3,000円)
住所、氏名、電話番号をお書きの上メールにてお申し込みください。
お申し込みはメールで