荒川民商の活動の歴史と実績



 質問検査権の限界税務運営方針の基礎となった「広田裁判」

 昭和41年9月に発生した広田事件は、荒川区町屋で、息子さんと一緒に金属プレス加工を営む中小業者でしたが、立会人をつけずに税務調査を受けた時、息子さんの持っていたノートが、税務署員に触れたことから、『公務執行妨害・傷害』の罪で起訴されましたが、なんと90名を超える警察官と、テレビ中継を準備した中での逮捕劇を行
うなど、全国で頻発していた民商への弾圧事件が、 荒川でも発生したのでした。


『広田さん宅を包囲した警察隊』

 裁判闘争は、医者の診断書の曖昧さや、公務執行妨害の有無などが暴露され、地裁(昭和44年6月)では【全面勝訴】の判決を勝ち取りました。
 しかし、納税者への徴税攻勢を強めるために、国税当局がでっち上げた弾圧事件は、控訴審(昭和45年10月)と最高裁(昭和48年7月)判決で、広田さんに対し、罰金3万円の判決が確定し、敗訴となってしまいましたが、なんと最初の起訴理由ではなく、『「質問検査権の行使に答えなかった」「被告は、質問検査権は憲法違反で答える必要がないと言っている」』から、質問検査に応じなかったとして『不答弁罪』の判決を受けたのでした。
 この7年余の裁判闘争の中で、この広田事件が、いかに不当な弾圧事件であったかが明らかとなりました。

 この裁判闘争の結果、最高裁判決は、広田さんの敗訴を確定したものの、質問検査権の要件として『具体的事情にかんがみ、客観的な必要性があると判断される場合』でなければならないとし、その具体的な方法は『質問検査権の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において、社会的通念上相当な限度にとどまるかぎり、権限ある税務職員の合理的選択に委ねられている』と、一方的であった税務当局の強権的な税務調査に終止符を打つ、納税者に対する質問検査権の限界を示した画期的な判決を勝ち取ることになりました。
 昭和48年7月の最高裁判決後の翌年、税務運営方針が国税庁から、質問検査権の行使について「税務調査は、その公益的必要性と納税者の私的利益との衡量において、社会通念上相当と認められる範囲内で、納税者の理解と協力を得て行うものであることに照らし、事前通知の励行に努め、反面調査は、客観的に見て、やむを得ないと認められる場合に限って行う」「納税者の主張に耳を傾け、いやしくも一方的であるという批判を受けることがないように」「来署を求めたり、資料の提出を求めたりする場合でも、出来るだけ迷惑をかけないよう注意すること」と、任意調査での質問検査権の限界と、納税者に接する調査の基本方向として発表されました。
 その改訂版が昭和51年に発表され、その運営方針が今も税務調査の基本方向として『徹底している』と、国税庁及び各税務署は回答していますが、税務調査の際に、広田事件の名前を出すと、税務署は「あの裁判は、納税者が敗訴したんです。判例も出ていますから」と、逆に利用しようとしていますが、前述のように、納税者の権利を抑えたものでなく、税務調査の限界を定めた内容であることに確信をもって、是非、納税者の権利を守る内容として活用してほしいと思います。




 
   納税者を勇気づけ判例の権力的流れを断ち切った春日裁判の全面勝訴

 事件の発生と取り組みの経過 

 春日さんは西日暮里で、奥さんとお兄さんとで、オフセットと活版で、主に名刺や封筒・伝票など端物を印刷していた印刷業者でした。
 春日さんは、税務署を始めとするお役所に、楯をつくことなど考えたこともない、生真面目な芯の通った印刷業者で、「まさか税務署員がこんなひどいことをするとは夢にも思わなかった」と後日述べているくらい正義感強い零細な業者でした。
 ことの発端は、1986年(昭和61年)7月から始まった、不当な税務調査でした。
 税務署のすぐ裏にあった春日さんの印刷工場へ、事前連絡もなく「となり組のMだ」と訪問や電話でいやがらせのようなことを繰り返し行い、調査日を決めて立会人同席で調査を受けようとすると「守秘義務があるので立会いは認めない」「青色申告を取り消す」と脅しのような言動を繰り返し、調査に応じようとしませんでした。そこで税務署を訪れ「準備をして待っているのだから調査を進めてもらいたい」と、本人と役員・事務局で抗議と要請を行い、同時に証拠を残すために、荒川税務署長宛に「どうしてこのような不当な扱いを受けるのか。調査をすすめる気がないのか。」など、内容証明で一納税者の疑問点として送付しました。
 回答はありませんでしたが、早速連絡が入り、日程を決めて再度調査を受けることに同意し、立会人も事務局の一名だけにした上で、内容証明の回答を求めましたが、「内容証明についてはすでに答えた、これ以上答えられない」立会人については友人がいるものとして黙認、との事でした。そこで調査官Mが、「たばこをすって良いか」というので、春日さんは「自分は心臓が不整脈だけど」と言いつつ、灰皿を奥の方の流しから持ってきて出しました。この一服が終わったら調査を始めるものと思っていたとたんに、春日さんに向かって「調査を受ける気があるのか」と、机を叩き、大声をあげて脅し、同僚の調査官が諭しているのも振り切って帰ってしまいました。
 そこで、再度税務署長宛に「調査に応じようとしているのに、なぜ机を叩いて大声を出して脅すようなことをするのか」「なぜ、まじめな調査をしてもらえないのか」「なぜ、私がこんなひどい目にあわなければいけないのか、お答え下さい」と、内容証明を送付しました。
 内容証明の送達後、M調査官の上司、S統括官が調査を受ける意思があるかを確認に来ました。春日さんは「調査はいつでも受けるが、M調査官は変えてほしい」と申し入れましたが聞き入れられず、10日後に、昭和58年分以後の青色申告の取り消しと昭和58年〜60年度分の更正処分を受けることになりました。
 それからの闘いは、異議申し立て、口頭意見陳述、審判所に審査請求、審判所での意見陳述を行い、審判所の採決では、春日さんの計算が正しく、税務署が押し付けた更正処分は、実額では全面的に取り消されました。しかし、青色申告の取り消しによる多額の更正額が残っているため、1989年(平成元年)1月に東京地裁に、『青色申告の取り消しは違法』と訴状を提出。裁判闘争に移りましたが、毎年青色取り消しによる更正があるため、異議申し立て、審判所の審査請求、追加提訴が繰り返し行われ、調査が始まってから裁判が始まるまで3年余、裁判が始まって5年余を加え、8年半の期間と、昭和58年分から平成2年分の8年分の争いとなりました。
 
 税務署との闘い

 この事件は、1986年頃から民商破壊を狙って『みせしめ的』に行われた調査であったと考えられ、最初に調査の対象になったのが春日さんでした。
 消費税体制準備と、税務当局有利の判例が蓄積されたことも加え、立会い拒否、理由開示なし、事前通知なし、一方的な反面調査の横行で、権利を主張する民商会員を敵視し、一方的な青色申告取り消しと、更正処分の乱発などが行われる情勢が背景となっていました。
 こうした中で起こされた事件のため、最初からまじめに調査しようとしておらず、あれこれ言い訳をしながら、訪問回数と電話連絡を重ね、春日さんが調査に応じなかったという、実績をつくろうとしていたとしか思えない経過でした。
 
 異議申し立て・審査請求

 最初の更正処分後は、手続きの期限と文書の作成、どのようにたたかいを発展させるかに終始し、更正処分の資料提出や口頭意見陳述など、いろいろな手続きにも取り組んできました。 
 異議申し立ては、同じ税務署内の同僚が担当するため、形式的な訪問と形式的な質問に止まり、何の救済措置にもならないのが現状です。
 審判所では、更正処分に関する書類の提出を求めると同時に、閲覧請求も行いましたが、税務当局の言い分だけを認める内容で、すでに出された更正処分の基礎となった、売上の資料以外に出せないという結果でした。春日さんは、税務署から出された数字に対して、二重計上や期間の間違いなどを指摘し、青色申告の取り消し処分を除く、更正処分の全部を取り消させる採決を勝ち取りました。
 
 青色申告承認取り消しを取り消させる 

 地裁提訴により、闘いは裁判闘争に移りましたが、反動化した中での裁判闘争であり『もし、負けたら』の気持ちは拭い切れませんでした。事実、春日さん本人も、「自分はまじめにやってきたつもりだが、公務員はもっとまじめで税務署員がこんなひどいことをするとは夢にも思わなかった。こんなことが通ったら昔の年貢の取立てと同じになってしまう。なんとしても許せない。」と語り、本人も役員・事務局も闘う気持ちを強めていきました。
 こうして体制の強化や財政的保障などとともに、具体的な対策として、当面課税された分の納税も済ませ、万全の体制で臨みましたが、個人の税金裁判が全体のものとして広げていくことの難しさに直面しますが、会議事に進行状況を報告し、裁判傍聴の訴えを強め、区内民主団体や全国の民商への訴えと、団体・個人署名を送付しました。その返信が続々と返って来て、約2週間で600団体を数え、直ちに地裁に届けるなど弁護団を支える運動に取り組みました。
 弁護士は、税金裁判のベテラン『第一法律事務所の鶴見・羽倉弁護士』に御願いし、法律論を鶴見弁護士が、事実経過などを羽倉弁護士が担当し、税務調査の適法要件、事実経過ならびに民商弾圧の背景、税務行政の実態を明らかにするなど、会議を重ねながら税務当局を追及しました。
 地裁12回、控訴審11回の法廷を、傍聴人で一杯にする努力と、春日さんに対する税務調査の進め方が、いかに不当なものであったかを裁判官にわかってもらう努力を積み重ね、春日さんの主張を裏付ける具体的な証拠も、帳簿などの資料の他に、内容証明郵便で調査を受けようとする気持ちを表し、調査の現場となった作業所を様々な角度から撮った写真や、専門家に正確な図面を作ってもらい、応対した場所の臨場感を出すなど、仲間たちの力を借りて万全の体制で臨みました。
 その結果、地裁での全面勝利につづき、控訴審でも、税務署側の証言等は、殆ど取り上げられず、「そのまま信用するわけにはいかない」「あくまで主観的な認識に過ぎない」などと退け、全面勝利を勝ち取ることが出来ました。
 この春日裁判の勝訴判決が、税務当局に追随する権力的な判例の流れを断ち切り、その後の税金裁判を勝利に導くことが出来たことは言うまでもありません。

 尚、春日裁判の全記録が出版されていますので、詳しく知りたい方は、是非、同民商へお申し込み下さい。
                                         (B4版・全827ページ/3,000円・送料込み)
控訴審判決後の記者会見 控訴審判決報告会



 

 南千住・汐入地区で、食料品店を営んでいた太田さんが税務調査を受け、資料がなかったので次年度分の資料で計算することにしましたが、推計課税による多額の更正処分を受けました。
 異議申し立て・協議団(審判所と改正)と手続きを踏みましたが解決せず、結論を裁判にゆだねました。
 数字で証明するには困難を極めました。そこで、すぐ近くにあった、はるかに大きく、品物もそろった食料品店の、『一番忙しい時間帯の写真を撮ってきてもらいたい』という弁護士さんの指示で、店の前を行ったり来たりしながら、不振に思われないよう写真を数枚撮ることが出来ました。
 その結果、汐入地区という特殊な地域と、その近くにある大きな店との競争で、税務署の推計課税には『無理』があるとして、課税を全面的に取り消させる判決を勝ち取ったのでした。




 『資料をもっと良く調べなさい』と           大半の課税処分を取り消した「角裁判」

 西尾久で漆器の仕事をしていた角(かく)さんは、都内でも同業者がいない特殊な内容、ところが税務署は、角さんが一年のうち一番忙しい時期に調査に入り、『一段落するまで待ってほしい』という要望を無視し、一方的な反面調査により、実態が違う業者を同業者に見立て、その数値から、角さんの総所得金額を推計して課税しました。角さんと弁護団は、『その推計の方法には何らの合理性もなく、実額と著しくかけ離れた結果になっている』として実額を主張して闘いました。
 裁判所は、『原告(角さん)は、売上高・仕入高および必要経費に、いずれについても実額であるとする額を主張して、立証している。個々の費目に着いて実額が把握でき、これによって所得が算出できるのであれば、近似値をもって満足せざるを得ない推計による所得の算出を行う必要はなくなる』とし、『更正の適法性についての主張・立証責任は被告『税務署』にあり、被告のした推計に、これを適法とさせる要件が欠けていることが判明すれば、その余の点に立ち入ることなく、請求は容認されることとなる』と判断し、3年分の更正処分の大半を取り消す判決を下しました。
 この間、『不動産が差し押さえられ、融資が受けられなくなるなど、大変な営業妨害を受けました。絶対に許さないという決意と、その時々に、民商の仲間や弁護団の励ましと支援で闘うことが出来ました』と角さんは語っていました。












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